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金子文子はなぜ死んだのか 〜幻の皇太子裕仁暗殺計画〜

大正時代、大日本帝国を翻弄した一人の少女の物語

関東大震災直後の大正12(1923)年9月、〈不逞社〉と名乗るグループが一斉検挙される。
その指導者は朝鮮人青年・朴烈と、その愛人である19歳の金子文子。
東京地方裁判所判事・立松懐清の訊問を受けた文子の口から、恐るべきテロ計画が漏らされた。
朴烈と文子は、爆弾を入手し、裕仁皇太子(後の昭和天皇)の暗殺を謀ったというのだ。
訊問を通して立松判事は、文子の不幸な生い立ちを知る。父親は失踪し、母親の再婚相手は虐待され、朝鮮半島に住む日本人一家に養女に出され、そこでも虐待を受ける。
帰国した文子は16歳で家出同然に上京、苦学しながら反体制活動家と交流し、そして朴烈と出会い、事件は起こった。
文子の自供を信じられない立松判事は、幾度も翻意を促すが、文子は譲らなかった。
そして公判が開始される。
公判の場で文子は突然供述を翻した……。
今なお謎の多い「朴烈・金子文子大逆事件」の真相を探り、新たな〈真実〉を提議したルポルタージュ。

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